生きることとか幸せとか:【第2回】街と土地への愛着を考える
Serve! Sherwin Nuland says, "It was a privilege to serve as a doctor." Now a lot of kids tell me they want to be millionaires. And the first thing I say to them is: "OK, well you can't serve yourself; you gotta serve others something of value. Because that's the way people really get rich."
<誰かのために何かを受け持ち、己を尽くし、便宜を与えろ!>Sherwin Nulandは「医者としての奉仕活動は、本当に冥利に尽きるものでした」と言う。そうそう、子どもたちは億万長者になりたいみたいだけれど、私はまっ先にこう返してやるんだ:「まぁ、それもいいでしょう。だけどね、自分のために役立つことはできないものさ。だから、誰かのために貴ばれることをするのだよ。それが、本当の豊かさというものに近付く唯一の道だからさ」とね。(TED Talks "Richard St. John's 8 secrets of success"より)
第2回目となります。前回は「死っていうのは必ず最期に起こることが確定している未来のイベントだから、そこに焦点をあてて準備しておけば、理想の生き方ができる」という話でしたが、脱線と引用のオンパレードになってしまって、よくわからなかったと思います(笑)本稿もそんなノリでいきます。愛読してくれているオフ友には「今回は短くてよかったwwwwwというかやっとまともに読めたわw」なんてことも言われたので、分割したかいがありました。
本稿の見かけ上のテーマを先にまとめておきましょう:「愛着の持てる土地に住み、いままで培ってきたものをその場所のために使うと幸せになれる」です。これについて脱線しながら語ってゆきます。字数の半分以上が引用になることでしょう。
中川に浮かぶ 夕陽をめがけて 小石を蹴ったら 靴まで飛んで ジョギングしていた 大工の頭領(かしら)に ガキのまんまだと 笑われたのさ どこかに元気を 落っことしても 堂島孝平 葛飾ラプソディー Lyrics 葛飾亀有 アクビをひとつ 変わらない町並みが 妙にやさしいよ 中央広場で 子供の手を引く 太ったあの娘は 初恋の彼女(ひと) ゴンパチ池で 渡したラブレター 今も持ってると からかわれたよ 何にもいいこと なかったけど 葛飾水元 流れる雲と ラプソディー口ずさみ 少し歩こうか カラスが鳴くから もう日が暮れるね 焼鳥ほうばり ビール飲もうか トンガリ帽子の 取水塔から 帝釈天へと 夕陽が落ちる 明日もこうして 終わるんだね 葛飾柴又 倖せだって なくして気がついた 馬鹿な俺だから どこかに元気を 落っことしても 葛飾亀有 アクビをひとつ 変わらない町並みが 妙にやさしいよ(堂島孝平「葛飾ラプソディー」より)
この曲は寅さんをイメージしてつくられたようです。御存じ「こちら葛飾区亀有公園前派出所」のテーマソングです。私の世代ではあまりにも有名な曲ですが、上のブロック引用にあるリンクからYOUTUBEに飛べるので、ぜひ聴いてみてくださいな。とても温かい曲です。
「なくして気がついた」という部分が気になりますが、おそらくファスト風土化のことでしょう。三浦展さんの概念です。ファスト風土というのは、抽象的にいえば「街の構造が統一的になっていること」でして、具体的には「マック、カラオケ、ゲーセン、コンビニ、ファミレス、レンタルビデオ屋といったように、同じ地模様をもった建築物が駅前に敷かれる」ということなのです。
地元の北陸では00年代以降ジャスコができて地元商店街がつぶれ、三浦展氏のいう「ファスト風土」になった。国道沿いにあるツタヤとパチンコ、ユニクロにすき家。画一的な風景はグローバル化の弊害として語られがちだが、そこで育った身としては「ファスト風土=悪」というのもまた違う気がする— かやさん (@kaya8823) 5月 5, 2012
中2の頃、ジャスコができて地元商店街が潰れていく様は悲しかったが、やっぱり新しくて綺麗な大型店は嬉しかった。商店街では町の誰かが見ているが、ジャスコへ行けば親の目もない。それからは自転車で国道沿いのジャスコやゲーセンへ遠出=自由の象徴になった。自分は明らかにジャスコ育ちだと思う— かやさん (@kaya8823) 5月 5, 2012
10代の自分にとってジャスコは、古い地元の町から自由になる象徴みたいなものだったと思う。北陸にはまだまだ古い町並みが残っているが、ちょっと郊外へ出ればジャスコ、スタバや綺麗なマクドがある。そこへ行くのが自由だった。でもそれより外へは行けない。大阪や東京は遠すぎた。— かやさん (@kaya8823) 5月 5, 2012
どこへ行ってもジャスコやTSUTAYAなど、同じような風景が広がる日本の地方を、三浦展氏は「ファスト風土」として批判した。ファスト風土的なものには確かに問題もあるが、そこで育って地元友達が多くいる身としては、ファスト風土でこそ「幸せに生きる方法」を考えたいと思う。— かやさん (@kaya8823) 5月 5, 2012
多摩ニュータウンへ行ったんだけど、綺麗な駅前から少し歩くともう、うちの地元と同じ風景だった。ロード沿いの格安焼肉店にカラオケ、スポーツショップ…地元と似てるなぁと思いつつ、あんまり馴染めなくて何故?と思った。自分は郊外の風景が好きだと思っていたが、やっぱり「地元」が好きなんだ><— かやさん (@kaya8823) 5月 5, 2012
ファスト風土化した日本の地方では、どこへ行っても同じような街並みが続いている。だからこそ自分の育った街を「地元」として「特別なもの」だと思いたいのだ。本当はどこの地方も同じ風景だと知りながら、自分の「地元」だけは特別であると思いたいのだ。そうしないとファスト風土に染められてしまう— かやさん (@kaya8823) 5月 5, 2012
地方がファスト風土化していくにつれ、むしろそれぞれの「地元」意識は強まっていくと思う。「ウチらの地元」だけは特別であると思いたいし、東京へ出なくても幸せに生きていける。これが一部の地方人のリアルな感情だと思う。実際、不況になると東京に出る人は減るし…— かやさん (@kaya8823) 5月 5, 2012
ファスト風土は<グローバルの成れの果て>が素因だと思われますが、私はその一歩先に問題の本質をみます。すなわち「街に余裕がなくなってきたので、来るものを拒めなくなってきた」と思うのです。街を作るということは、街をデザイン(設計)することです。シュミレーションゲームをやったことがある人は分かると思いますが、もし来るものを拒めないほど街に余裕がなくなったとしたら、あなたの街は街としての良さを失ってしまうことでしょう。
街にはデザインがあります。街の地模様といってもいいですし、街の文化といってもいいです。いずれにせよ、誰かがその街に住み、その街を想い、その街の一部として亜全体を作ってゆくのです。その主体となる姿が<地元感>を失ってしまっては、誰も愛着を抱けなくなってゆくのです。
地元に愛着を抱くことは、とても当たり前すぎて、その意味すら意識されない。地元というのは、安心感なのです。いうなれば<帰ってきてよい場所>なのです。外へ行き、外の空気を吸い、その呼吸を地元に還元する、地元への愛着は本当の豊かさというものに近付く唯一の道なのかもしれない。
さて、土地のデザインについて考えてゆきたいのだが、字ばかり読んでいてもしょうがない、ということで、ここからしばらくは画像をみてゆきます。お付き合いください。

たとえば上の画像は安藤忠雄教授が設計したものです。風の教会といいますが、教会に続くアプローチ(まっすぐ歩くところ)が素敵。初期の方の作品です。彼の建造物をあと3件紹介します。

これは姫路文学館です。とてもモダン。

これはフォートワース現代美術館。おしゃれー。

これは(副都心線)渋谷駅にあります。渋谷駅は吹き抜けになっていることで有名ですが、それも彼の所業のひとつなのです。(その他:「2000年代の建築(wikipedia)」を参照のこと)。
べつにですね、だれが建てたかとか、その人がどんな権威だとか、そういう話をしたいわけではなくて、私たちが日ごろ忙しなく早歩きしているその街 ― その街の風景や風土 ― は、誰かによってデザインされたものなのです。もちろん私は「古い建造物=深い文化」とは云い切りません。文化はそこにいる<人>がつくってゆくものだと思っております。ただ、文化をつくろうとデザインされた街や建築を簡単に粗末するような精神は嫌いです。わかります。地理的に、日本では古い建造物を遺しておくのに適していないというのはわかります。それにしても物悲しいのです。たとえば、これ、

私の地元、国立駅(南口)の写真です。もうこれはありません。この前取り壊されました。その理由は「駅ビルにするから」です。駅前にスペースがないから、駅の上にビルを積んでいこう、という発想です。そのニュースを聞きつけた地元人が、私と同様に写真をとっておりました。上の写真は私の撮ったものではありませんが、私も4か所に保存してあります。ちなみに、駅の後ろにあるマンションは、日照権の問題で教科書に載ったらしいですよ(笑)不本意な名誉。私の友人ですが、PCゲームの一発屋が住んでおります。ゲームで一本あてるとあんなところに住めるんだ…(ゴクリ
27:名無しさん@12周年:2012/04/01(日) 18:03:48.79 ID:/KyhPFCO0
東京は汚いな
こんなビルばっかで風景最低最悪じゃねーか
29:名無しさん@12周年:2012/04/01(日) 18:09:33.63 ID:ScBnsXAK0
>>27
しかたありませんですね。
都市計画がまともに立ち上がる前に機能優先で大急ぎで作って、
作ってる最中に地震と空襲で二度に渡ってぶっ壊されて、
壊されるたびにますます間に合わせのプレハブ都市になったので。
それすなわち日本の縮図でもあります。
けれど、次の大破壊もすぐそこまで迫ってるようなので、
それで徹底的に壊れる事を前提にして、今度こそまともに作ればいいんじゃないでしょうか。
91:名無しさん@12周年:2012/04/02(月) 14:06:14.53 ID:iA433sbD0
歴史ある建造物を改修を繰り返して維持するのとは全く違う
事実上、新築で大正テイスト。
だからこんな安っぽくなる
93:名無しさん@12周年:2012/04/02(月) 14:33:58.75 ID:adEnuB6WP
>>91
しかたないよ以前の本物レンガ作りは耐震は無理なので1970年代から
レンガをレンガ風タイルに変えなきゃいけなくて工事してたんだから
1978年頃の地震で古いビルのガラス振ってブロック崩れて
丸の内血の海だったんだよ(2ch「【東京】 赤れんがの丸の内駅舎が復活 開業した大正時代の姿に」より)
巨大なソウル駅は、現代の韓国では、同時期完成の朝鮮総督府庁舎とともに日本帝国による朝鮮搾取のために建立された代表的な建築物とされている。しかし豊かな装飾や洗練された構造により、1981年8月25日に大韓民国の史跡第284号に指定されている。駅舎のグリル(食堂)は、日本統治時代に文化芸術人たちが集まって作品を論じ、多くの作品を創作した場所としても有名だった。(wikipeida「ソウル駅」より)
韓国にある文化建造物の多くは日本人が…というしょうもない話はやめておいて、様々なる駅もさることながら、大学のキャンパスも<土地>の観点からみて素敵だ(基本的に国立ですが)。

さきほどの「国立駅」からちょっと歩くとある大学、一橋大学(国立キャンパス)。私の地元はこういった繊細な風景や面影を遺してくれる建造物がいくつか点在していて、それだけで<地元への愛着>がわきます。

これは東大。こうなった背景はわかりませんが、耐震したいけれど、古い建造物を取り壊したくない、といったところなのでしょうか。わかりません。あとは奈良女子とか、慶應の旧図書館とか、神戸大学六甲台キャンパス、龍谷大宮、安田講堂、神戸女子学院なんかも好きです。さすがにこんな冗長なブログでも、大学を全部載せるわけにいかないので、気になったのならぜひグーグルへ。紹介したい建造物はまだある。「他の記事でやりなさい」という正論に負ける気はありません。

上の画像は京都国際会館です。要塞みたいでキュート。設計は、大谷幸夫(大谷研究室)。

これはカナダにあるアビタ67団地です。モシェ=サフディが設計です。

これもカナダ。オンタリオデザイン美術学校。ウィル=アルソップ設計です。素敵。
日本とカナダが「世界に最もよい影響を与えている国」に選ばれたことはさておいて、デザインという言葉は「設計」です。設計にはかならず「意図」があります。たとえば、

この信号機のデザイン。誰がどんな意図で作ったのか。べつに現代文の問題をやっているわけではないので、私の「本文」から「答えの根拠」を探さないでくださいね。あなたが感じるままに言い当ててやりなさい。安全性?危険性?利便性?一元性?統一性?芸術性?あるいは一か所に集めた方が電気の節約になるのか、あるいはドライバーにとってそれがもっとも見やすいのか、そもそも信号機のシステムが気になる理系の子や、こんな設計に違法性を感じる法学部の子や、「私の車線からはこっちの信号機の方が明るく見えたのでこちらに従った」なんて<信号機の電気的記号の解釈>をし始める文学部の子もいるでしょう。
それはさておき、私たちが意図しよう。自分の地元に<どんな形で還元するのか、できるのか>を思索して意図するのです。デザインするのです。環境を作るのです。
私の友人であり、シェアをしている同居人のひとり"Yuki Jayce Ikeda"はひとつの意志を持っていて感激した:彼の生れた県は都道府県のなかでもドベに近い学力なのです。その底上げをしたい。すばらしい。目指しているものがある人は強い。彼は本当の豊かさに近いものを持っている気がします。地元への愛で自己実現する、とても素敵なことです。それは「幸せな生き方」のモデルなのです。
総じて、自分の好きな土地を見つけ、あるいは、自分の生きた地元を愛し、そこで自己実現していくことはとても幸せで、とても豊かなことなのです。こうした自己実現の方法について次で考えたいと思います。御味読ありがとうございました。
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